今回は、ミラノを拠点に活躍した建築家・デザイナーで「イタリアモダンデザインの父」と呼ばれた「ジオ・ポンティ(1891年~1979年)」をご紹介いたします。
ジオ・ポンティは、1891年にイタリアのミラノで生まれました。(余談ですが、1891年と言えば、バスケットボールが考案された年でもありますよね。)
1921年、ジオポンティが30歳の時に名門のミラノ工科大学建築学部を卒業します。卒業後すぐにエミリオ・ランチャとミノ・フィオッキと共に建築事務所を設立。設立から2年後(1923年)には、イタリアの陶磁器メーカーである「リチャード・ジノリ」社でアートディレクターを務めるようになります。このころから彼の仕事はますます忙しさを増していきます。
1925年には彼の代表作として知られる「ジョヴァンニ・ランダッチョ通りの集合住宅」、1926年にはプリン通りに建てられた「カサ・ラポルテ」を手掛けています。この30年後(1957年)に手掛けるデッサン通りの住宅を含む3つの案件が、「ポンティスタイル」の家具で整えられたミラノの住宅プロジェクトとして、ジオ・ポンティが手掛けた建築の代表作と言われています。
1928年には建築・デザイン誌「ドムス」を創刊し、初代編集長に就任。国内はもちろん、国外のデザイン界にも多大な影響を与える雑誌に成長していきます。この雑誌の創刊後、後にイタリア合理主義の旗手と言われた「フランコ・アルビニ」とも出会います。
そして1957年には、イタリアの家具ブランド「カッシーナ社」との協力により世界一軽量のチェア「スーパーレジェーラ」を開発します。この椅子は、カッシーナ社が初めて社外にデザインを委託して開発した家具であり、超軽量で椅子としての機能と美を極限まで追求した作品になりました。1つ1つ丁寧に作られているこの椅子は、カッシーナ社の名声をゆるぎないものとし、発売から半世紀以上経過した現在でも人気となっている椅子でもあります。
1968年にはロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートより学位を取得。その後も美術館や大聖堂など、数々の建築物を完成させたポンティですが、1979年にイタリアのミラノで亡くなってしまいます。享年88歳。
多岐にわたる重要なデザインシーンに携わり、戦後のイタリアンデザイン界を牽引し続けたジオ・ポンティ。20世紀で最も重要なデザイナーの1人であり、これから先も語り継がれていく人物である事は間違いありません。
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