
今回は、日本のインダストリアルデザインの確立と発展に大きく貢献したデザイナー「柳 宗理(1915年~2011年)」をご紹介いたします。柳宗理は、1915年に東京都渋谷区で生まれます。彼が19歳の時(1934年)に東京美術学校(現・東京芸術大学)洋画科に入学します。在学中にバウハウスにいた水谷武彦の講義を受けた時に彼の人生は大きく変わります。その時に受けた講義は、ル・コルビュジエについてでした。大きな衝撃を受けた彼は、この時からデザインの分野に大きな関心を持つようになります。
1940年に大学を卒業すると、日本輸出工芸連合会の嘱託となり、この当時輸出工芸指導官として来日していたシャルロット・ベリアンの日本視察に同行することになり、日本各地の伝統工芸に触れる機会を得ます。1942年には坂倉準三建築事務所の研究員となり、ここで建築についての知識を学びます。しかし、1941年からの太平洋戦争下であったため研究員の身分のまま陸軍の報道班員として南方戦線の激戦地であったフィリピンへ渡ることになります。1946年に研究員として復員し、工業デザインの研究に着手していきます。様々なデザインを手がけるも、終戦後の物資不足の影響を受け、思うように進まないことも多かったと言われています。そんな激動の時代を生き抜いてきた柳宗理は、1950年にようやく自分の研究所を開設することができます。
1952年に第1回新日本工業デザインコンクールに出品した「レコードプレイヤー」が第1席を受賞します。彼はこの賞金で財団法人柳工業デザイン研究会を設立しました。その後も様々な分野で活躍し、金沢美術工芸大学産業美術学科教授に就任します。
そして、彼を世界的なデザイナーにしたきっかけでもある展覧会への出品を1957年することになります。この展覧会は、第11回ミラノ・トリエンナーレで、そこに招待出品します。その時に出品されたのが「バタフライスツール」と「白磁土瓶」で、この2つが金賞を受賞することになります。そこから彼の名が世界的に認知され、バタフライスツールは世界でも大ヒットすることになります。
バタフライスツールは、薄い木の板を何枚も重ね合わせ、型にはめて成型する成型合板で作られたスツールです。持ち運びにも便利なようにと、スチールの棒で2つのパーツをつなげる設計になっていて、簡単に分解できるのも特徴の1つです。
このスツールで世界でも認知された柳宗理は、1980年に「ミラノ市近代美術館」でデザイナー初の個展を開催しました。この美術館は、イタリア在住のデザイナーでさえも推挙がなければ開催できないほど、狭き門と言われていましたから、この開催は彼の偉大さを象徴する個展ともなりました。
日本でも1981年に紫綬褒章を受賞、2002年には文化功労賞を受賞しています。そして、2011年12月25日、肺炎のため東京都内の病院で死去。享年96歳。
インダストリアルデザインが躍動したミッドセンチュリーの時代に日本のデザインを世界へ発信した柳宗理。彼がいなければ、今の日本のインダストリアルデザインは大きく遅れていたと言えるでしょう。彼の思想は後世の人々に受け継がれ、さらに魅力的なデザインが生まれてくるはずです。
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