天才マルチアーティストとして、世界中でその名が知られている「アンディ・ウォーホル(1928年~1987年)」の30代後半から晩年までをご紹介したい思います。
マリリンモンローの突然の死に打ちひしがれた後、ニーヨークにファクトリー(The Factory)と呼ばれるアトリエ兼サロンがを作り上げます。ファクトリーの内装は、アルミホイルや銀色のヘリウム風船などがところ狭しと飾られており、エレベーターまでもが銀色に染められ、工場のような場所で作品制作をすることをイメージして作られていました。その様子から「ザ・シルバーファクトリー(第1期)」とも呼ばれるようになっていきます。そこでは頻繁にパーティーなどを行い、様々な分野の著名人が集まるようになっていきました。
そんなファクトリーに通うメンバーの中でも特に脚光を浴びたのが、大きな目にすらりと伸びた脚をもつ女優「イーディ・セジウィック」でした。その美貌で彼女は瞬く間にファッションアイコンとなり、彼が手がける映画にも出演しました。ウォーホルは隠れたスターを発掘するのにも長けていましたが、一度関係が悪化すると、人気を簡単に地に落とす権力をも持っていました。
この時期に名声や著名人について語った有名な言葉があります。それは「未来には、誰でも15分間は世界的な有名人になれるだろう」という言葉でした。物議を醸したこの言葉は、事あるごとに彼に問いかけられる事になります。それにうんざりしたウォーホルは、のちに「15分で誰でも有名人になれるだろう」と言い換えています。
そんな絶頂の中、1968年6月3日に事件が起きます。ファクトリーの常連であった女性に狙撃されたのです。彼の映画にも出演していたこの女性は、彼に3発もの銃弾を放ち、そのうちの1発が彼に命中する事になります。重体となったウォーホルでしたが、死の淵から見事に生還しました。この出来事は、のちに映画化もされるほど有名な出来事となります。
1970年代からは社交界の依頼を受け、シルクスクリーンプリントを多数制作していきます。1982年から86年にかけては災害や神話をモチーフにした作品を制作します。この作品の制作途中で、日本のTDKのCMにも出演し大きな反響を呼びました。
1987年2月21日、ニューヨークの医療センターで胆嚢手術を受けますが、翌日に容態が急変し死去します。享年58歳。
生涯独身だった彼は、短くも濃い人生を歩んだと言えるでしょう。その証拠に、今なお彼の作品は世界中で愛され続けています。
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