今回は、アーツ&クラフツ運動の推進者であり、スコットランドにおけるアール・ヌーヴォーの提唱者の一人でもあるデザイナー「チャールズ・レニー・マッキントッシュ(1868年~1928年)」をご紹介いたします。
マッキントッシュは、1868年にスコットランドのグラスゴーで生まれました。小さいころからスコットランドの風土に触れ、多くのスケッチを書いていました。16歳の時、建築家を目指す為、グラスゴーの建築家の下に弟子入りします。同時期に美術学校の夜間部にデザインとアートを勉強するために入学しました。
在学中に、後の妻となるマーガレット・マクドナルド、その妹のフランセス・マクドナルド、ハーバート・マックニーと出会い、その後、マッキントッシュを含む4人で、デザイナーグループ「ザ・フォー(the four)」を結成します。結成当初は、ウィリアム・モリスのアーツ&クラフツ運動に影響を受けますが、数年後にはそこから離れ、直線と幾何学模様で構成されるデザイン「グラスゴー・スタイル」を確立します。
このスタイルを基本として、グラスゴー、ロンドン、ウィーンの各地で展覧会を開きました。その評判はマッキントッシュの名前を世界へ広めるきっかけとなりました。展覧会はこの回だけではなく、ヨーロッパの各地で開かれることになります。
27歳の若さで、母校でもある美術学校の新校舎の設計コンペに優勝します。この後、ザ・フォーは解散してしまいますが、マッキントッシュはその後も建築・デザインを続けて行きます。
1902年からは、スコットランド西部にある友人の邸宅「ヒル・ハウス」の設計を手掛けて行きます。この邸宅の設計と同時に家具のデザインも手掛けます。それが有名な「ラダーバックチェア」でした。
1903年にはウィロー・ティールームのインテリアデザインなどを総合的に手掛けて行きます。マッキントッシュは空間設計だけでなく、装飾や家具、小物に至るまで総合的にデザインし、『建築はあらゆる美術の総合であり、全ての工芸の集合である。』 と考えるようになります。
第一次世界大戦がはじまると、イギリスのチェルシーに移り事務所を設立しますが、建築家としての名声は徐々に失われ、健康状態の問題も合わさって建築の仕事から離れて行ってしまいます。晩年は、南フランスで水彩画に専念していたとも言われています。そして1928年、喉の癌のためロンドンで死去します。
マッキントッシュのデザインは、今でも色あせることがなく、そして一度見たら忘れることができないそのフォルムも、多くの人々に愛されています。
CATEGORY
HAPSENT人気の商品カテゴリ
おしゃれな家具、照明、店舗向け什器の通販サイト HAPSENT