今回は、イタリア合理主義の旗手と言われたデザイナー「フランコ・アルビニ(1905年~1977年)」をご紹介致します。
フランコ・アルビニは、1905年にイタリアのスイス国境近くの町コモで生まれました。建築についてはイタリアの名門であるミラノ工科大学で学び、1929年に卒業すると、デザイン誌「ドムス」の編集長を務めていたジオ・ポンティの事務所で働き始めます。
1930年には自身の事務所を持ち、イタリアンモダニズムと伝統的な職人技を組み合わせた家具をデザインし、時代の流行を作り出します。戦後の混乱期であったため、物資が手に入りにくかったのですが、彼は手に入りやすい安価な材料で作れるようにデザイン・設計を行いました。
1940年には、当時影響力の強かったデザイン雑誌「カッサベッラ」の編集長を務めます。その後、様々なデザイナーとコラボレーションするプロジェクトで、チェザーレ・カッシーナとも親密に仕事をするようになります。この人物は、17世紀から続いていた家具ブランド「カッシーナ」を会社化し、家具事業の近代化を進めた人物としても知られていました。
アルビニのデザインは、家の装飾品から工業デザイン、商業デザインに至るまで、論理的で統一感があり、純粋な表現と伝統的なデザインを現代に取り込む事に常に注力していました。その行いが、いつしかイタリア合理主義のリーダー的な存在として認知されるようになります。
アルビニはたくさんのデザインを手掛けていますが、中でも13年間という製作期間を経て完成させた「ルイーザ」は、傑作と言われ、歴史的にも名高いコンパッソ・ドーロ賞を受賞しました。コンパッソ・ドーロ賞とは、アルビニが働いていた事務所のジオ・ポンティの発案により作られた世界で初めてのデザイン賞です。
ルイーザを発表した翌年には、曲げられた木製フレームにハンモックを貼ったような雰囲気のある椅子「カナポ ロッキングチェア」を発表しました。一時期は生産が行われていませんでしたが、2010年のミラノサローネの際にカッシーナが復刻し話題となりました。
1960年代に入ると、産業デザインを手掛ける事が多くなり、大規模な建築プロジェクトに携わるようになります。中でも有名なのが、ミラノを走る地下鉄1号線でした。もちろん一人ではなく、ここでもたくさんのデザイナーとコラボレーションすることになります。アルビニたちは、各駅に特徴を持たせる事に焦点を置きましたが、各所に同じ素材を使用したり、看板の形や、使用するフォント等を統一することにより、一貫性を持たせるようにデザイン・設計を行いました。
新しい物を取り入れながらも、伝統的なデザインを忘れず、融合させることで伝統を生き返らせるという事を考え抜いたフランコ・アルビニ。その一貫した考えは、合理的でありながらもどこか新しさを感じる物でした。
現代のデザインも、新しいものばかりを追いかけるのではなく、伝統あるデザインを踏襲し、受け継いでゆくことも大切だと気付かされました。
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