今回は、北欧近代建築の礎を築き、北欧の建築家たちに大きな影響を与えた「エリック・グンナール・アスプルンド(1885~1940)」をご紹介いたします。
アスプルンドは1885年にスウェーデンのストックホルムで生まれました。少年時代は画家を目指していましたが、父親や絵の先生に反対され夢を断念してしまいます。その後は、スウェーデン王立工科大学に進み建築を学びます。
卒業後はさらに学ぶため、王立芸術大学へ進学しますが、伝統的で保守的な教育方針が合わず中退してしまいます。その後、仲間と共に私設学校「クララ・スクール」を立ち上げ、当時の北欧の一流建築家たちを招き指導を受けます。
そして1915年にアスプルンドの人生を大きく変える出来事が起こります。それは、友人と共に応募した「ストックホルム南墓地国際コンペ」で1等を獲得した事です。このコンペで1等を獲得したことにより一躍有名になり、1920年には「森の中の教会」、1923年には「スカンディア・シネマ」、1928年には「ストックホルム市立図書館」など、次々と歴史的な代表作となる建築物を設計して行きました。そんな忙しい毎日を送るアスプルンドですが、きっかけとなった「ストックホルム南墓地」には生涯を掛けて取り組んでいます。彼の代表作の中でも一際有名なこの案件は、後に「森の墓地」と呼ばれるようになり、世界遺産にまで指定されました。(20世紀以降の建築の中で、世界遺産登録された最初の建築物。)
1930年には「ストックホルム博覧会」の主任建築家に任命され、鉄とガラスを大胆に用いた近代建築によるパビリオン群を作ります。これが大きく評価され、北欧建築の新時代を迎えて行きます。同じ年に作られた「イェーテボリ裁判所増築」では建築だけでなく、家具のデザインにも取り組んでいます。それが「ヨーテボリ1チェア(カッシーナ)」。背もたれの曲線と一体となった後脚が印象的で、曲線が美しい北欧デザインらしいフォルムが特徴の椅子でした。
1940年に竣工した「森の火葬場」は、「森の墓地」における一連の施設の最後の作品となります。しかし、この作品はアスプルンドにとっても人生で最後の作品となってしまいました。アスプルンドは1940年、最盛期ともいえる55歳の若さでこの世を去ります。
アスプルンドが生きた時代には、ル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエ等が活躍していました。近代建築の巨匠達の中でも独自の思想を貫いた彼は、後の北欧デザインを代表するアルヴァ・アアルトやアルネ・ヤコブセンと言ったデザイナーたちにも大きな影響を与えました。
卓越した設計スキルとデザインセンスは、まさに「スカンジナビアの巨匠」と呼ばれるに相応しく、彼が居なければ北欧デザインは誕生していなかったかもしれません。現代の北欧スタイルの礎を築いたアスプルンドを語らずして北欧デザインを語ることはできないと言っても過言ではありません。
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