ソファ

シンプルなデザインで幅広いインテリアに合わせられるソファ

エマージェンスソファ

皆さんのお部屋にはソファは有りますか?私の周りでは、ソファを買いたいけどなかなか良いのがないなんて声をよく聞きます。そんな方は、大抵インテリアに拘っていて、そのインテリアに合うソファが無いと言う感じですね。そこで今回は、シンプルなデザインが特徴のソファをご紹介したいと思います。

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ヴィンテージ感を加えたデニム生地を使ったソファ。

デニムソファ

リビングプライベートルームに置いて、くつろぐ場所として欠かす事の出来ないソファ。お気に入りのクッションを並べたりすれば、そこは自分だけの場所に早変わりですよね。そんな生活に密着した家具でもあるソファに、普段から接することの多い素材でもあるデニム生地を使ったアイテムをご紹介いたします。

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体全体をソファに預けて、リラックした贅沢な時間を過ごす。

ハイバックチェア

今回は、背もたれが高めに設計されたハイバックタイプソファをご紹介いたします。皆さんは、ソファと言えば高さ750mm前後のスタンダードな形を思い浮かべますよね。しかし、そのスタンダードなタイプのソファは、頭の部分までクッションがありませんから、今一くつろぐことができないと思いませんか。頭を預けた時に、後ろまで行ってしまい、逆に肩が凝ってしまうなんてこともありますよね。

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5段階のリクライニングが可能な合成皮革の1人掛けソファー

アンセムラチェットソファー ブラウン

家の中でくつろぐ場所として活躍しているソファー。クッション性が良く、使い勝手も良いことが、自分のお気に入りの場所としては欠かせない所ですよね。今回紹介するソファーは、1人掛けのソファーなのですが、幅も奥行きもちょっと贅沢なほどゆとりがある設計になっているアイテムです。

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ソファに座りながらでも作業ができる便利なサイドテーブル。

アンセムサイドテーブル

ソファに座りながら作業をしたいと考えた時に、ローテーブルではちょっと疲れてしまいますよね。そこで今回はコンパクトで使い勝手の良いサイドテーブルをご紹介いたします。このテーブルは、サイズが(約)幅400×奥行き400×高さ560(mm)と、非常にコンパクトな設計になっているので持ち運びも簡単!!高さも560mmありますから、ソファに座ったまま作業をするには十分な高さです。

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パイプフレームのスタイリッシュな2人掛けソファ。

パイプフレームソファ

本を読んだり、寝転がったりと、インテリアの中でも使用頻度が高いソファ。そのスタイルはインテリアの中でも目立つ存在ですから、インテリアのコンセプトとしっかりと合わせてあげるのが重要ですよね。例えば、木を中心とした北欧スタイルであれば、やはり木を中心に使っているソファを選びたいところですよね。今回は、インダストリアルスタイルや男前インテリアにピッタリなソファをご紹介いたします。

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背もたれと肘掛けが5段階で調節可能なソファ

コンパクトカウチソファ ルガーノ

一人暮らしの空間にもカッコよくて高級感のあるソファは欲しいですよね。今回はコンパクトな設計と高級感のあるデザインのソファをご紹介します。
ソファに使われている張地は合成皮革。高級感を感じるとともに贅沢な気持ちにも浸ることができます。座面はウレタンフォームやポケットコイルなど、こだわりのある5層構造になっており、座り心地は抜群です。合成皮革の張地はお手入れも簡単!水分や汚れもサッと拭き取ることができます。ペットがいる方や小さなお子様がいるご家庭にはとても助かりますよね。

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懐かしい雰囲気を持つレトロなフォルムのソファ

リビングなどのゆったりとした時間を過ごす空間に必要不可欠なソファ。北欧スタイルのソファや、スチールパイプ等の金属素材をメインの構造に使ったモダンスタイルのものまで、たくさんのデザインがありますが、今回はアンティークな雰囲気が特徴のソファをご紹介したいと思います。

アンティークウッドソファ

ソファの座面、背面には合成皮革の素材を使用しているのでお手入れも簡単。飲み物をこぼしてもサッと拭き取ればOKです。肘や脚部にはラバーウッドを使用、そこにラッカー塗装を施し、高級感とアンティークな雰囲気を感じさせてくれる色合いに仕上げています。

アンティークウッドソファ

ソファは1人掛けと2人掛けのタイプが用意されています。またカラーもブラックとアイボリーの2色があり、用途に合わせて選ぶことができます。リビングでは1人掛けと2人掛けを組み合わせて使うのも良いですよね。

 

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アンティークウッドソファ

アンティークウッドソファ
21,780円(税込)~
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いろいろなデザイナーVol.4 ~ル・コルビュジエ(後編)~

今回は、前回途中までの紹介となった「ル・コルビュジエ」の続きを書いていきます。
前回は、ル・コルビュジエの36歳までの物語を紹介しましたが、今回は晩年に至るまでを紹介します。
1922年の著作「建築をめざして」以降、世界から注目を集めるようになったコルビュジエは、1925年のパリ万博で「レスプリ・ヌーヴォー館」を設計し、同万博でパリ市街を超高層ビルで建て替えるという大胆な都市改造案「
ヴォアザン計画」を発表しました。1930年には「輝く都市」を発表しますが、この2つの案は共通しており、都市中心部に超高層ビルを建て、周辺に緑地を作るというもの。
ヴォアザン計画ヴォアザン計画では、パリの街をベースに計画案が発表されています。
内容は、古い街や建築物を取り壊し新しい幹線道路を作ることから始まります。幹線道路で仕切られた各ブロックには超高層ビルを建て、事務所や住宅を入れます。このように働く場所と暮らす場所を隣接させることにより効率の良い生活環境を実現するという意図がありました。一番のポイントとなったのは容積率の大幅なアップに伴い、周りの土地が空くこと。空いた土地をすべて緑地にしてしまうという考えでした。今ではこの考えに近い都市計画を行っているところもあります。緑を増やし、街の空気や気温上昇への対策としていますよね。
ヴォアザンとは自動車会社の名前ですが、コルビュジェが自身の考えを持ち込み、その考えに賛同したヴォアザン社がスポンサーになったことでつけられました。実は、シトロエンやプジョーにも声を掛けていたと言われています。
実際にはこの計画が実現することはありませんでしたが、これ以降の都市計画に大きな影響を与えています。「輝く都市」は、1933年に開催された近代建築国際会議で採択された「アテネ憲章」の理念にも影響を与えています。
サヴォア邸1930年以降、建築分野でさらに積極的に動いていきます。
1931年に竣工した「サヴォア邸」はル・コルビュジエの主張する「近代建築の五原則」を示す典型的なもので、コルビュジエの代表作ともなりました。
(※「近代建築の五原則」とは、「ピロティ」「自由な平面」「自由な立面」「独立骨組みによる水平連続窓」「屋上庭園」を指します。)
その後、ソ連やブラジル、ドイツでも仕事をしています。
第二次世界大戦後、コルビュジエが主張していた「ドミノシステム」に基ずく集合住宅をマルセイユに建設します。
そして、1955年には国立西洋美術館の建設依頼を受け来日。建設予定地を視察後、京都や奈良に出向き帰国します。この来日がコルビュジエの最初で最後の来日となります。1956年に国立西洋美術館の基本設計案、1957年に実施設計案が届き、弟子にあたる前川國男らが建設に着手し今日の国立西洋美術館本館が建てられました。当初のコルビュジエの案は本館の他、講堂と図書館が入る付属棟と、劇場ホール棟を含む大規模な物でしたが、財政難から付属棟と劇場ホールの建設は見送られました。劇場ホールについては、コルビュジエの弟子の一人であった前川國男の設計により東京文化会館として建てられることになります。
グランドコンフォートそして、その日は突然訪れてしまいました。
来日から10年後の1965年、南フランスのカプ・マルタンで海水浴中に心臓発作で死去。享年78歳。
実は、1957年に妻が、1960年に母が相次いで他界。また自身の公的記録を完成させた直後に死亡しており、当時は自殺説も囁かれていました。
近代建築に大きな影響を与えたル・コルビュジエですが、家具の世界にも大きな影響を与えています。
代表作は「LC2Grand Confort )(大いなる快適)」。
この家具はデザイン家具史上、最も大きな功績を残した作品と言われています。その他に「LC4(シェーズロング・ア・リグレージ・コンティニュ)」、「LC1(バスキュラント)」など数多くあります。

数々の功績が称えられたル・コルビュジエは、1997年から発行されているスイス・フラン紙幣に肖像と作品が描かれています。
そして、ル・コルビュジエの作成した図面や建築模型、家具など20点以上がニューヨーク近代美術館(MoMA)に収蔵されています。まさに巨匠の名にふさわしい建築家でありデザイナーですね。

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いろいろなデザイナーVol.3 ~ミース・ファン・デル・ローエ~

今回は、美術館から住宅まで幅広い場所で使われている椅子「バルセロナチェア」のデザイナー「ミース・ファン・デル・ローエ」(1886年~1969年)をご紹介します。
ミース・ファン・デル・ローエ(ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ)は1886年3月にドイツで生まれました。
彼は大学で建築知識を学ぶことはなく、地元の職業訓練学校で製図工の教育を受けました。しかし、最初に勤務したのは全く別のもので、漆喰装飾のデザイナーとして勤務しています。
ミースファンデルローエ
その後、建築事務所に転職し、そこからミース・ファン・デル・ローエの人生が大きく変化して行きます。
1907年に最初に手掛けたリール邸が高く評価され、ドイツの有名建築家ペーター・ベーレンスの事務所で勤務するようになります。
そして、1929年にはバルセロナで万博が開催されますが、そこでバルセロナパビリオンの建物を建設。この建物で使うための椅子も手がけました。それが有名な「バルセロナチェア」です。
建物は、万博終了後取り壊されましたが、1980年代後半に復元されて、ミース・ファン・デル・ローエの記念館として使われています。
ミース・ファン・デル・ローエは、モダニズム建築を代表するデザイナーで、“Less is more.” (より少ないことは、より豊かなこと)という標語でも知られています。柱と梁によるラーメン構造の均質な構造体が、その内部にあらゆる機能を許容するという意味のユニヴァーサル・スペースという概念を提示しました。
ル・コルビュジェフランク・ロイド・ライトと共に、近代建築の三大巨匠と言われている人物です。

 

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いろいろなデザイナーVol.2 ~ヨーゼフ・ホフマン~

家具照明等多くの物がインテリアに用いられています。それらは多くのデザイナーの手によって生み出されました。
このシリーズではそのデザイナー達をご紹介していきます。
第2回目は、モダンデザインへの道を切り拓いたウィーン分離派の創設者の一人「ヨーゼフ・ホフマン」(1870年~1956年)をご紹介します。
ヨーゼフ・ホフマンは1870年にチェコで生まれました。
チェコ共和国第2の都市ブルノにある国立工芸学校に学び、卒業後は軍事施設の建設局に勤めました。その後建設局を退局し、ウィーンの美術学校に進学。オットー・ワーグナーの下で腕を磨きました。
1897年にはオルブリッヒらとともにウィーン分離派を立ち上げることになります。ウィーン分離派の活動は、アーツ・アンド・クラフツ、アール・ヌーボーなどの影響を受け、モダンデザインへの道を切り開きました。分離派の中心メンバーとして活躍したホフマンでしたが、1905年にウィーン分離派を離脱します。分離派を脱退する直前には、仲間と共にウィーンに工房を設立し、多くの作品を制作しました。
ヨーゼフ・ホフマン
それ以降は長年にわたりウィーン芸術工芸学校で教鞭をとり、オーストリア工芸連盟の発起人の1人にもなっています。
1936年にウィーン芸術工芸学校を退いた後は年金生活に入ります。

ホフマンの様式は、現実的かつ実用的なものに絞られ、多くのデザイナーの手本にもなりました。それが、国際ビエンナーレのオーストラリア代表や芸術審議会の委員など、公的な役職を歴任したことにも表れています。

 

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