今回はデンマークのデザイナーであり、単なる家具にとどまらない美しい構造体が人気となっている「ポール・ケアホルム(1929年~1980年)」をご紹介いたします。
ポール・ケアホルムは1929年にデンマークの北西部にある街、オスターヴゥローに生まれます。
当初は画家を目指していた彼ですが、祖父の勧めで家具職人の下に弟子入りすることになります。デンマーク出身の多くのデザイナーがそうであったように、彼も家具職人としての修業をしながらデザインを学んでいったのです。
その家具職人の下での修業を終えると本格的にデザインを学ぶため、コペンハーゲンに移り住み、デンマーク美術工芸学校に通うようになります。この学校で彼の運命的な出会いが待っていました。それは、当時、教師として教鞭を執っていたハンス・J・ウェグナーとの出会いです。ウェグナーから高い評価を受けたケアホルムは、学校を卒業後、短期間ではありますが、家具ブランドとしても有名なフィリッツ・ハンセンに入社します。すぐに辞めてしまった彼ですが、工芸学校の講師などを務めながら自身の活動も続け、1955年には、コペンハーゲン王立美術アカデミーで教鞭を執るまでになります。
学校に通っている時に、ハンス・J・ウェグナーの事務所に勤務していたケアホルムですが、その時に知り合ったE・コル・クリステンセン(コル・クリステンセン社創業者)と、家具の製造・販売において共働して行きます。王立美術アカデミーに招聘される頃には、彼の代表作とも言える「PK-22」を発表。金属製の脚部の上に籐等の座面を置いたそのフォルムは、ミース・ファン・デル・ローエがデザインしたバルセロナチェアに大きく影響されていました。
76年からは王立美術アカデミーで教授を務め、最終的には学長にまでなった彼は、一切の妥協を許さないデザイナーであり、徹底した美意識を持っていました。その代表的な逸話が息子であるトーマスに行った言葉。トーマスが冷蔵庫から牛乳を瓶のまま食卓に持ってきた時に「なぜピッチャーに移してから持ってこない?そのままでは美しくないだろう」と言ったそうです。
多くのデザイナーが自身の内面を表現して行く一方で、ケアホルムは自分自身の哲学を貫いていました。それは「個性よりも、素材の特性を表現したい」という哲学。彼の家具はこの信念に基づきデザイン・制作されていきました。だからこそ彼のデザインしたものは、空間で主張しすぎることなく、その場に以前からあったかのような佇まいを見せるのかもしれませんね。
様々な家具をデザインしたポール・ケアホルムは、1980年に肺がんで亡くなってしまいます。享年51歳。これからもっとたくさんの家具を作り上げて行くと思われていた彼の早すぎる死は、たくさんの人々に悲しみをもたらしました。
しかし、彼のデザインした家具は現在でも多くの人々に愛され、使い続けられています。それはこれからも変わる事はないはずです。
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