今回は、日本国固有の文化や美意識を感じる独創的なデザインを生み出し続けたデザイナー「倉俣史朗(1934年~1991年)」をご紹介いたします。
倉俣史朗は、東京都文京区本郷で生まれました。生まれた家は第二次世界対戦時の東京空襲で焼けてしまい、戦後は東京都豊島区の駒込に住んでいました。東京工芸高等学校で学び、その後さらに学ぶべく桑沢デザイン研究所のリビングデザイン科へ通います。そこで家具や素材について深く学んだ後、三愛宣伝課、松屋インテリアデザイン室を経て独立を果たします。独立した当初からアクリル素材を好んで使っていた倉俣史朗は、透明感があり浮遊したような作品を多く生み出していきます。この頃、横尾忠則らとコラボレーションした作品も発表し注目を集めるようになります。
そして1970年。彼の代表作である「Furniture in Irregular Forms」を発表し、世界に衝撃を与えます。それまでの引き出し付きの収納は直線的で角ばっているものばかり。まさかこれほどクネクネとした収納のデザインが発表されるとは誰も思わなかったのです。この作品で名前が知られた倉俣史朗は、プロダクトデザインの巨匠「エットレ・ソットサス」の誘いで、デザイン集団「メンフィス」に参加します。参加したこの年、日本文化デザイン賞を受賞するなど多くの活躍をします。そして、新素材として注目していた「エキスパンドメタル(金網材)」を使った椅子「How High The Moon」を発表します。細いスチールワイヤーのみで作られ中が空洞の椅子は、倉俣自身が掲げていた「重力からの解放」というテーマにぴったりなものでした。その後、アクリルとアルミを使った椅子「Miss Blanche」を発表します。アクリルの中に花を入れ込んだ斬新なデザインは倉俣史朗にしかできないデザインと言っても過言ではありません。
そのデザインと行動力、発想性が高く評価され、1990年にフランス文化省芸術文化勲章。しかし、翌年に急性心不全でこの世を去ってしまいます。享年56歳。あまりにも早い死に多くのデザイナー達が彼の死を惜しみました。
精力的に創作活動をした倉俣史朗。彼の作り出すデザインは、独創的で衝撃的ものでした。そのあまりの独創性から「クラマタ・ショック」と言う言葉まで生まれたほどです。今後も、彼の生み出したデザインは、多くのデザイナーに影響を与え続けるでしょう。
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